私が転職希望者とお会いして、求人企業の説明をする際、必ず、その会社の創業者の話をします。
会社のことを知るうえで、創業者については、簡単でもいいので理解しておくことが大切です。
私がリクルートテクノロジーズ含めた、リクルートグループを中心にご紹介していることもあり、これまでに、江副さんに関する本を多数読んできました。今まで読んだ本を参考に、リクルートの創業者である江副さんについて簡単にまとめて説明していこうと思います。
リクルート創業者「江副 浩正」さんについて
現リクルートの社長は峰岸真澄さんです。峰岸さんは3代目で、2代目が柏木さん、そして初代かつ創業者が江副さんになります。江副さんは、「東大が生んだ戦後最大の起業家」と呼ばれており、ソフトバンクの孫さんやサイバーエージェントの藤田さん、堀江貴文さんなどといった日本を代表する起業家に影響を与えています。
そんな江副さんを知るうえで、
経歴
リクルート事件
江副さんの名言
上記3つが重要になってくるので、下記を参考にして頂ければ幸いです。
江副 浩正さんの簡単な経歴
江副さんは、東京大学を卒業し、1960年の在学中に東京大学が発行していた「東京大学新聞」の広告代理店として株式会社大学広告(現リクルート)を創業しました。同社は1962年に大学新卒向けの「企業への招待(現リクルートブック)」というメディアを創刊し、求人広告という業界で有名になりました。
リクルートブックは情報誌で、現在のリクナビNEXTの前身と言われています。
「企業への招待」は、企業の採用の情報広告を1冊にまとめて、大学生の自宅にDMで届けるというものです。このプロダクトが大成功し、創業から10年で売上が100億円を超えました。当時の100億円なので、現在でいうと数十倍にもなるでしょう。
また創業から15年で平均成長率20%越えを維持させてきました。
新卒採用支援だけでなく中途採用支援にも広げていき、リクルートエージェントの前身である人材紹介領域に特化した株式会社人材情報センターを1977年に設立させました。その後、女性の転職情報誌「とらばーゆ」や技術者向け求人情報誌「ベルーフ」を創刊させました。
江副さんは情報誌以外の不動産・旅行分野にも進出し、事業を拡大させていきました。東京の一等地に自社ビルを建てるほど成長したリクルートですが、昔からある大手日系企業からは嫌われていたようです。
そこで、江副さんは大手企業と交流を深めるようになったようです。このことが、後に説明する「リクルート事件」に発展します。
リクルート事件について
リクルート事件は1988年に発覚した、第二次世界大戦後の日本最大の企業犯罪と言われた賄賂事件です。
事件が発覚して、江副さんは翌年の1989年に賄賂容疑で逮捕、起訴されました。
裁判は14年に渡り行われて、東京地裁での公判回数は322回と東京地裁での公判回数としては歴代1位となっています。
リクルート事件を簡単に説明すると、江副さんがリクルートの関係者と共に、リクルートの政治的財界的地位を無理に高める目的で、有力政治家や官僚、マスコミ界の有力者に子会社(リクルートコスモス)未公開株を譲渡していたんです。
譲渡されたリストの中には、竹下登首相や小沢一郎官房副長官、鈴木宗男代議士などがいます。
未公開株の譲渡は、1984年~1986年にかけて複数回行われていました。
譲渡したものは現金ではなく値上がりが確実な未公開株となっており、公開後に高値で売り抜けており、譲渡された側は数千万から数億円単位の現金を手にしたと言われています。
江副 浩正さんの代表的な名言
- 『2位になることは我々にとっては死』
- 『自ら機会を作り出し、機会によって自らを変えよ』
- 『経営の才は、後天的に習得するものである。それも99%意欲と努力の産物である。』
- 『最優先事項を優先する』
※「マネージャーに贈る言葉20章」から参照
どれも、リクルートイズムとして残っているもので、こういった名言から 圧倒的当事者意識 という言葉ができました。
リクルートグループで働く方には優秀な方が多いですが、それ以上に、「優秀になれる環境がある」と私は思います。
リクルートグループへの転職をお考えの方はご相談ください
私がリクルートテクノロジーズ含めたリクルートグループを中心に転職支援しているのは、心から良い会社だと思っているからです。キャリアコンサルタントとして約16年ほどの経験があり、私経由でリクルートグループへは70名の方が入社しています。特にリクルートテクノロジーズへは45名が入社しており、46人目が今月内定承諾しました。※2019年11月現在
もし、リクルートグループへの転職をお考えでしたら相談ベースでも構いませんので、ご連絡ください。
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